婚活するヒロインたち 結婚に役立つ名作案内 「若草物語」「細雪」

名作文学のヒロインたちから現代に役立つ結婚の知恵を学びます。―いろいろあるけれど、最後には笑おう ― 次はあなたがヒロインです。

2019年08月

女の子が25歳を過ぎるとき 

「私は自由が好き!」と、ローリーのプロポーズを断ったジョーですが、肝心の作家になる夢は、まだ夢のまま。

明日は彼女の誕生日なのだ。

月日はなんと早くたつのだろう。
自分はだんだん年をとってゆく、

それなのに
何も仕遂げられたものは
ないように思われる。

さすがのジョーも25歳の誕生日を目前に、あせりを感じ始めました。

かつて1980年代の日本には「クリスマスケーキ」という言葉で、適齢期の女性を形容していたことがあります。12月25日(25歳)を過ぎたら、安売りのケーキになるということですね。

女の子は
二十五になるともう、
自分たちは老嬢だなどと
いうようなことを言う。

でも心のうちでは
けっしてそんなものに
なるまいと決心する。

19世紀のアメリカでも面白いくらいにその感覚は同じ―25歳で自分の年齢が気になってくるようです。

それでも何といってもまだ20代、「まだまだいける!」と楽観的になりがちです。しかしその後も変化がないと…

三十になるともう
そんな話はしなくなるが、
だまって
その事実を受けいれる。

厚生労働省の『人口動態統計』では、平成30年の日本女性の初婚平均年齢は29.4歳。未婚化・晩婚化が進んでいる日本の今の感覚では、ジョーほどの焦りはないでしょう。

ただそれでも30代になる時は、たんなる数字の変化と思えないのが「女心」。出産のことを考えれば、もうのんきにしてはいられない年代です。


小)パンチ紙 書く女性
夢を追ったまま、こんな感じで年をとっていく?


女の子が30歳を過ぎると…
 

19世紀のアメリカでは30歳過ぎの女性の結婚が、ほぼ難しかったことは次の記述でわかります。
 
りこうな婦人であれば、
まだこれから二十年も
有益で幸福な
月日があると思い、

その間に
品よく老いることを
学べるのだと思って
自らを慰める。

作者オルコットの10代後半から20代は、家族のために働くことで、過ぎていってしまいました。

30歳になる頃には南北戦争が始まります。この戦争でオルコットは看護婦を勤めて体を壊し、もとの健康体には戻れなかったそうです。
 
オルコットが『若草物語』で富と名声を手に入れたのは30代半ば、それまで先の見えない日々を過ごしていた時の様子が、『続若草物語』のジョーの姿に色濃く投影されています。

彼女はいい人間になろうと
エイミー以上に努めたが、
酬いられたことは一度もない

― 得たものは失望と、
悩みとつらい仕事だけだった。


現代の日本でも、女性は仕事でキャリアを積む時期と、出産や結婚の適齢期が重なって、ライフスタイルの模索が続いています。それは、すでに19世紀の小説に登場するジョーの悩みでもありました。

ヨーロッパ滞在を満喫している妹のエイミーは「画家になる」夢をあきらめて「貴婦人になるため」婚活を開始したようです。
 
この先、ジョーはどういう結論を出していくのでしょうか。

※小説の引用は『続若草物語』角川文庫 2008年 吉田勝江氏の訳からです。



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『若草物語』刊行時のエピソードをご紹介しておりましたが、ここからはまた改めて、ジョーの様子を見ていくことにしましょう。

なぜローリーと結婚しないのか

幼なじみの青年ローリーは、お年頃になったジョーを口説き続けています。しかしジョーは彼とは結婚する気はありません。母親マーチ夫人もそのことに同意します。
 
ローリーは、なかなかあきらめてくれません。

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 王子さまからのプロポーズ!

 困ったジョーは、改めて彼にこう伝えています。
  
私はだめ。
私は美しくもないし
気もきかないし、
変わりものだし
おばあさんでしょう。

あなたはいまに
私なんか恥ずかしく
思うようになるわ。

そして喧嘩するのよ
―今でさえそうでしょう、ね。

そしてふたりの性格が、全く合わないことをあげています。

私は上品な社交界
なんてきらいなのに、
あなたは好き。

あなたは私が物を書くのがいやなのに、
私はそれがなくては生きられない。

「恋愛」は一時の情熱でも可能ですが、「結婚」を長続きさせるためには、やはりふたりの相性を、見極めておくことが大切だと思います。暑さが苦手か、寒さが苦手か?夜型か朝型か?そんなことでも、離婚の原因になるのです。

ましてローリーは、ジョーが情熱を傾けている執筆活動を認めていない様子、これは気になりますね。

私たちは不幸になるの。
そして結婚なんか
しなけりゃよかったと思うの。

なんて恐ろしいことになるんでしょう。

お互いが理解しあう努力も、もちろん大切ですが、こと結婚の場合、ジョーが母親に助言を求めたように、まわりの意見に耳を傾けることも、不可欠なことだと思います。

ジョーは、ローリーにこう言います。

私はだれとも結婚なんか
しないんだと思っててちょうだい。
私はこれで幸福なの。

私は私の自由を
とても愛しているから、
それを急いで
どんな人間とだって
とりかえっこしよう
などとは思ってないのよ

le castel enchante 等の上のお姫様? 著作権フリー - コピー
わたしはわたしの自由をとても愛しているから…


ローリーのプロポーズに「私は結婚しなくても幸せ」と言い切るジョーですが、はたして本当に後悔はないのでしょうか? 

ジョーはもうすぐ、25歳の誕生日を迎えようとしています。

※小説の引用は『続若草物語』角川文庫 2008年 吉田勝江氏の訳からです。

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『若草物語』刊行間近!

1868年の7月15日
、オルコットは『若草物語』を書きあげて、402ページの原稿を編集者に送りました。8月26日には「全ページの校正ゲラ」が届き、オルコットはこう思います。

案外いい作品だと思う。
ぜんぜんセンセイショナルではなくて、
素朴で真実味がある。

当初は乗り気でなかったオルコットは、手ごたえを感じ始めていました。次のような自信があったからです。

それもそのはず、
わたしたちはほとんど
このとおりの人生を
送ってきたのだから。

この作品が成功するとしたら、
それは実際にあった話だからだろう。

これはいけるかもしれないと、オルコットに原稿依頼をした編集者ナイルズも感じ始めます。

ナイルズ氏もいまでは
気に入ってくれている。

すでに原稿を読んだ
お嬢さんたちが「素晴らしい!」
といってくれたそうだ。

少女向けに書いた作品なので、
少女が最高の批評家。
だからわたしは満足。

そして10月、妹
メイが挿絵をつけた『若草物語』は、出版されてすぐに大評判となりました。
 
オルコットが幸運だったのは、ナイルズ氏のいるロバーツ・ブラザーズ社が、親切にも「著作権を保持しておくように」と忠告してくれたこと。これはビジネス上、とても重要なアドヴァイスでした。

『若草物語』がベストセラーとなった時、オルコットに印税という富をもたらしてくれたのです。

A Gorge in the Mountains 1862 メト美
オルコットの少女時代の夢はかなえられました。(メトロポリタン美術館蔵)
 


オルコットは後に日記にこう書いています。

「単調な作品」は醜いアヒルが
産んだ初めての金の卵だったのだ。

醜いアヒルと自分をたとえるオルコットはこの時35歳。少女時代に誓ったこと―自分の手で家族に楽をさせるということを『若草物語』で実現させたのでした。

小説の成功を知る直前の10月8日、母アッバ・メイの68歳の誕生日を祝った時、オルコットはこう記しています。

母は老衰がはじまっているようだ。
これからは年々変化が加わることだろう。

精力的で物事に熱心で
家庭的だった母を、
時が変えていくのだ。

オルコットの成功を前に、現実には衰えを見せ始めた母親です。しかしオルコットは『続若草物語』では最終章までいきいきと、愛する母親が家族の要となる姿を描き留めていきました。

※オルコットの日記の引用は、『ルイーザ・メイ・オールコットの日記 もうひとつの若草物語』ジョーエル・マイヤースン/ダニエル・シーリー編、マデレイン・B・スターン編集協力、宮木陽子訳 西村書店 2008年 からです。



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1868年オルコットは『若草物語』の執筆開始!

 
少女の頃から書くことの好きだったオルコットは、17歳の頃から作家になりたいと思い始めます。

 22歳で初めての本『花のおとぎ話』(1854年)を刊行した彼女は、物語を書いては、その稿料で家族の生活を支えていくようになります。
 
そして1868年の5月、35歳のオルコットに「少女向けの物語」の依頼がやってきました。その経緯は、彼女の日記で知ることができます。編集者のナイルズ氏が依頼主でした。
 
妖精物語の件で
父がナイルズ氏に会ったところ、
氏が少女向けの物語を
ほしがっているというので、

「リトル・ウィーメン」
(『若草物語』)
という題で書きはじめた。

とうとうオルコットは、彼女の代表作であり永遠の名作となる作品の執筆に着手しました!

しかしここで意外なことを記しています。

乗り気ではなかった『若草物語』の執筆!?

だからこつこつ書いてはいるけれど、
こういう作品は楽しくない。

わたしは女の子が
ぜんぜん好きでないし、
姉妹のほかはあまり知らない。

男の子の方にシンパシーを感じるところは、まさに『若草物語』のジョーですね。だから最初は書くことに積極的でなかったことがわかります。

しかし彼女は次のように考えました。


でも、姉や妹と演じた
風変わりな芝居や
実際の体験談は

もしかしたら
おもしろいかもしれない。

小)Lady Seated at a Table Dancing Figures 1775 or later メト美
オルコットは約2か月で『若草物語』を書きあげます。(メトロポリタン美術館蔵)

自分の家族の日常を小説に反映させること―こうして『若草物語』の方針が固まりました。

6月になると、編集者のナイルズに最初の十二章の原稿が送られます。その反応はというと…

氏は単調な作品だという。
わたしも同感だけれど、
せっせと書きつづけている。

試しにこの路線に
取りくんでみようと
本気で思っている。

穏やかな日々の暮らし、それを魅力的な物語にすることにオルコットは挑戦します。 

なぜならいま
少女向けの生きいきとした
飾り気のない作品が
大いに必要とされているし、

おそらくその必要を
わたしが満たせると思うから。

19世紀に生きた、アメリカのある家族の日常が『若草物語』という「永遠の物語」に生まれ変わろうとしていました。

※オルコットの日記の引用は、『ルイーザ・メイ・オールコットの日記 もうひとつの若草物語』ジョーエル・マイヤースン/ダニエル・シーリー編、マデレイン・B・スターン編集協力、宮木陽子訳 西村書店 2008年 からです。

 

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母親は結婚の良きアドヴァイザー

ジョーと母親マーチ夫人の「結婚をめぐる会話」は続いています。

ローリーが、ジョーの結婚相手として「そぐわない」という点で、意見が一致した母娘です。お金もちで素敵な男性ローリーを、結婚相手としてあえて勧めない母親の態度を、ジョーは面白く感じます。

マーチ夫人は、こう応えます。

ジョー、母親のやり方は
それぞれ違いますからね。

でも望みはみんな同じなのよ。

その望みとは…

子供たちを
しあわせにして
やりたいということ。

メグはしあわせになりました。

あの子の結婚は
成功したと思って
喜んでいます。

世間的に申し分のない男性でも、その結婚で娘が「幸せにならない」と感じれば勧めない、母親の責任と見識を示す立派な言葉だと思います。

さらにマーチ夫人はこう続けています。娘の性格を見抜ききった深い言葉です。

あなたはあきるまで
自由をお楽しみなさい。

それまでは、それ以上の
楽しいことがあるということは、

あなたには
わからないでしょうからね。

「それ以上の楽しいこと」は、マーチ夫人にとっては、結婚して家族をもったことでしょうか。

作家になる夢をもつ娘を認めつつ、でも自分の経験からのアドヴァイスをきちんとしています。

小)portrait of a woman in gray 1865 degas メト美
頼りになるお母さんはこんなイメージ?(ドガ 1865年 メトロポリタン美術館蔵)

「普通」の結婚も「すてきな物語」

この頃の「何ものかになりたい」と野心を持て余すジョーの姿は、作者オルコットの自画像といえます。そしてオルコットは、かつての自分に、あたたかい眼差しを向けています。

…ご承知のとおり、
ジョーはヒロインといった
柄ではないのである。

そこいらに
いくらでもいるような、
懸命に生きている
娘にすぎないのだ。

『若草物語』は、冒険や大恋愛といった派手な物語ではありません。ある家族の日常が、ていねいに綴られていくお話です。でもそこからは日々の営みのすばらしさが伝わってきます。
 
今の日本に暮らす私たちもまた、「懸命に生きている」ことに変わりはありません。

彼女は気分の命ずる
ところにしたがって、

ただ悲しんだり
ふきげんになったり、
ものうくなったり

そうかと思えば
活動的になったり、
天性の赴くままに行動した。

ローリーのプロポーズを断って「懸命に生きて」「天性の赴くままに行動」するジョーには、はたしてこれからどのような世界が現れるのでしょうか。

※小説の引用は『続若草物語』角川文庫 2008年 吉田勝江氏の訳からです。


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ローリーのジョーへの一途な恋心?

魅力的な青年になったローリーは、幼なじみのジョーのことが大好きです。やんちゃなローリーはやがて性急に、ジョーに恋心を見せ始めます。

うらやましい限りのジョーの立場ですが、彼女はローリーを、はっきりと拒絶しました。小説を書くジョーは、自分とローリーというキャラクターが、結婚に向かないことを本能的に感じとっています。

ジョーの母親マーチ夫人もまたそれには同意し、娘にこうアドヴァイスをしました。

お友だちとしてならば
楽しくやっていけますよ。

いくら喧嘩してもじきに
けろりとするでしょう。

 さすが母親、よく二人の様子を見ています。

でも一生の間
いっしょに暮らすとなると、
うまく折り合えないんじゃないか
と思うんですがね。

第一、あなたたちは
あんまり似すぎていますよ。
それに自由をほしがりすぎます。


母から娘へ「夫婦というもの」のアドヴァイス

「自由をほしがりすぎる」と、マーチ夫人は、活動的な二人が一緒になれば、イザコザが生じると予感しています。そして母親は、結婚の秘訣をこう伝えています。

気短な点や強情な点はおくとしても、
夫婦という関係で
しあわせに暮らしていくのには、

愛情ばかりではだめなもので、
どこまでもしんぼうづよく
忍耐していくということが
大切なものですからね。

「愛情ばかりではだめ」というアドヴァイスが、150年以上も前の小説に書かれていました。

マーチ夫人の言葉は、現代日本の啓発本にあっても違和感のない内容です。こうしてみると、時代や国を超えて、普遍的な「夫婦円満」の秘訣というものが、あるのだということを感じます。

ドガ
母と娘は人生の重大事を話し合います。(メトロポリタン美術館蔵)

 
また『続若草物語』での母と娘の親密な会話ですが、これは作者オルコットが実際に、母親アッバ・メイをとても信頼していたことに拠ります。

オルコットの父ブロンソンが、自分の理想を追求するあまり家族が困窮するなか、母親のアッバが現実的に家族を支えていました。

この母親の血を色濃く受け継いだのが、作者オルコットでした。
 
アメリカの児童文学作家ノーマ・ジョンストンはこう述べています。

ルイザ [作者オルコット] はますます母親に似てきた。
同じメイ家の激しい性格を持っていた。
愛することも、憎むことも非常に激しい。
現実に裏打ちされた実際派だ。

作者オルコットは母親似でした。

そして今ふたりは
暗黙の秘密の約束を結び、

ブロンソンと家族みんなを
守っていこうと決心したのだった。

ルイザはアッバをあがめ、尊敬し、
その力と才能とを認めていた。

現実世界では苦労続きで亡くなった母親を、オルコットは『続若草物語』で理想の母親として描き出し、永遠の生命を与えています

※小説の引用は『続若草物語』角川文庫 2008年の吉田勝江氏の訳からです。
※ノーマ・ジョンストンの引用は、『ルイザ 若草物語を生きたひと』ノーマ・ジョンストン著 谷口由美子訳 東洋書林 2007年からです。



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結婚した姉メグとの会話

ベスの死という試練を経て、人柄がまるくなってきたジョー。キャリア女性を目指して、独立心旺盛だったのですが、いまは結婚にも素直になってきています。

姉メグと話すときも、人を受け容れる柔らかさを見せ始めました。

姉といっしょに
縫い物をしているとき、
ジョーはメグがめっきり進歩して、
話もじょうずになり、

女らしい衝動、
分別、感情などのことも
よくわきまえるように
なったことを知った。


落ち着いた主婦となった長女メグ。その結婚生活は順調でした。

そして夫と子供のことで
彼女はどんなにしあわせか、

また彼らがみんなお互いのために
どんなによく尽くし合っているか
ということもよくわかった。

ジョーは姉にこう言います。

結婚というものは結局
とてもすばらしいものなのね。

やってみたとしても、
お姉さまの半分も成功するか
どうか疑わしいものだわ。

それにしても、できると
仮定してのことだけれど。

メグは、妹の心境の変化をとても喜んでいます。

姉としても、不器用で不幸そうなジョーのことは、とても心配だったのでしょう。

あなたは栗のいがみたいなの。
外には棘があるけど、
中はすべすべしていて、

むくことさえできれば、
おいしい実がはいっているの。


小)MADAME THEODORE ドガ 1869 メト
中身はすべすべしているジョー?(ドガ 1869年 メトロポリタン美術館蔵)

姉妹だけあって、妹のよい点をちゃんと見抜いています。メグは妹にこう言います。

いつか恋をすれば、
あなたの心が表にあらわれてよ。

そうすればちくちくした
いがはとれてしまうわ。

姉は、ジョーの将来も見通しているようです。しかしこの姉の意見には取り合わないジョーです。

ステキな男性から好意を寄せられても?

実はかなり以前から、彼女は幼なじみのローリーから恋心を打ち明けられているのです。すてきな青年に成長したローリーは、かなりモテているのですが、ジョーひと筋。
 
ローリーは(バブルの頃ならきっと「三高」と言われた?)高学歴、高収入、高身長で、その上見た目もいい。なのにジョーは、断固としてつきあおうとしません。

このあたり、まったくメグの言う通り、「ちくちくしたいが」みたいですね。
 
しかしこれには、はっきりとした理由があります。その場の感情に流されない、しっかりした彼女なりの考えによるものです。

このあたりの現状分析能力は、エイミー顔負けのリアリストぶりなのですが…そのことはまた、次回に書いてみたいと思います。

※小説の引用は『続若草物語』角川文庫 2008年 吉田勝江氏の訳からです。



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サンテマリアージュ辻堂は「このままではもったいない人」のチカラになります






開運したいなら日々の暮らしを丁寧に

三女ベスの死によって、次女であるジョーのかたくなな性格は変化を見せ始めます。
 
内気な妹が、これまで引き受けていた家事をすることで、日々の営みの大切さに気がつくのです。

それはつつましやかで、
健康な仕事と喜びとである。

それらが彼女のために
役立ったことは否まれなかった。

そして彼女も
だんだんとそれがわかり、
価値を見出すようになってきた。

家の中をこざっぱりとさせて、毎日をきちんと暮らすこと。

意識してやってみると、電化製品に囲まれた現代でも、意外なほどの手間と時間がかかります。

STILL LIFE WITH APPLES AND PITCHER 1872 ピサロ メト美
つつましやかで健康な仕事をする喜び。(メトロポリタン美術館蔵)

これまで野心あふれるジョーにとって、日常生活は「私はこんなことをするために生まれてきたのではないわ」という雑用の連続でした。

しかし、亡くなった妹の仕事を代わることでジョーは慰められ、新しい価値を見出していきます。

ほうきとお皿ふきとは、
もはや今までのように
いとわしいものではなくなった。
 
野心のあまり、前のめりになって「未来」ばかりを見つめ「現在」をおろそかにしていると、いいことはおきません。

日々の小さな積み重ねが、未来を形づくっていくとも言えるでしょう。

同じように野心家でも、リアリストの妹エイミーは、それなりに自分の義務を果たし、日ごろのお付き合いの仕方も丁寧です。

こうしてエイミーの方が、先に幸運の切符を手にしました。

ジョーの変化を見ていたマーチ家の料理人ハンナはこう言います。

なんとまあ思いやりのあるお方だか。
できればあのお方[ベス]の代わりに
なろうとしていらっしゃる。

私たちはなにも申しませんが、
わかっておりますだ。
神さまもおほめになりますだよ。

遅ればせながら、毎日をきちんと丁寧に暮らし始めたジョー、神さまはこれから、どんなふうにほめてくださるのでしょうか。

IRONING ドガ 1873 メト
アイロン掛けだけでも昔の家事はたいへん。(ドガ 1873年 メトロポリタン美術館蔵)

※小説の引用は『続若草物語』角川文庫 2008年 吉田勝江氏の訳からです。

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