女の子が25歳を過ぎるとき
「私は自由が好き!」と、ローリーのプロポーズを断ったジョーですが、肝心の作家になる夢は、まだ夢のまま。
明日は彼女の誕生日なのだ。
月日はなんと早くたつのだろう。
自分はだんだん年をとってゆく、
それなのに
何も仕遂げられたものは
ないように思われる。
「私は自由が好き!」と、ローリーのプロポーズを断ったジョーですが、肝心の作家になる夢は、まだ夢のまま。
明日は彼女の誕生日なのだ。
月日はなんと早くたつのだろう。
自分はだんだん年をとってゆく、
それなのに
何も仕遂げられたものは
ないように思われる。
さすがのジョーも25歳の誕生日を目前に、あせりを感じ始めました。
かつて1980年代の日本には「クリスマスケーキ」という言葉で、適齢期の女性を形容していたことがあります。12月25日(25歳)を過ぎたら、安売りのケーキになるということですね。
女の子は
二十五になるともう、
自分たちは老嬢だなどと
いうようなことを言う。
でも心のうちでは
けっしてそんなものに
なるまいと決心する。
19世紀のアメリカでも面白いくらいにその感覚は同じ―25歳で自分の年齢が気になってくるようです。
それでも何といってもまだ20代、「まだまだいける!」と楽観的になりがちです。しかしその後も変化がないと…
三十になるともう
そんな話はしなくなるが、
だまって
その事実を受けいれる。
厚生労働省の『人口動態統計』では、平成30年の日本女性の初婚平均年齢は29.4歳。未婚化・晩婚化が進んでいる日本の今の感覚では、ジョーほどの焦りはないでしょう。
ただそれでも30代になる時は、たんなる数字の変化と思えないのが「女心」。出産のことを考えれば、もうのんきにしてはいられない年代です。
夢を追ったまま、こんな感じで年をとっていく?
女の子が30歳を過ぎると…
19世紀のアメリカでは30歳過ぎの女性の結婚が、ほぼ難しかったことは次の記述でわかります。
りこうな婦人であれば、
まだこれから二十年も
有益で幸福な
月日があると思い、
その間に
品よく老いることを
学べるのだと思って
自らを慰める。
作者オルコットの10代後半から20代は、家族のために働くことで、過ぎていってしまいました。
30歳になる頃には南北戦争が始まります。この戦争でオルコットは看護婦を勤めて体を壊し、もとの健康体には戻れなかったそうです。
オルコットが『若草物語』で富と名声を手に入れたのは30代半ば、それまで先の見えない日々を過ごしていた時の様子が、『続若草物語』のジョーの姿に色濃く投影されています。
彼女はいい人間になろうと
エイミー以上に努めたが、
酬いられたことは一度もない
― 得たものは失望と、
悩みとつらい仕事だけだった。
現代の日本でも、女性は仕事でキャリアを積む時期と、出産や結婚の適齢期が重なって、ライフスタイルの模索が続いています。それは、すでに19世紀の小説に登場するジョーの悩みでもありました。
ヨーロッパ滞在を満喫している妹のエイミーは「画家になる」夢をあきらめて「貴婦人になるため」婚活を開始したようです。
この先、ジョーはどういう結論を出していくのでしょうか。