エイミーの結婚相手のネタバレあります
悲しい知らせを受け取ったエイミーは…
玉の輿であったイギリス貴族からのプロポーズを断り、今は風光明媚な、スイスのヴヴェーに滞在するエイミー。
そんな彼女にアメリカの実家から、悲しい知らせが届きます。それは三番目の姉ベスの死でした。
エイミーは
この悲しみによく耐えた。
帰国しても姉には、会えなくなったのでした。
もうベスに
さようならを言うのには
間に合わないのだから、
旅行を切り上げる必要はない、
もっと滞在して、
遠く離れていることで
悲しみを和らげるほうが
いいだろうという、
家族のすすめに
従ったのである。
今の感覚で言えば、身内が危篤なら帰国するとも思いますが、このお話は19世紀、手紙のやりとりにも移動にも、とても時間がかかる時代です。
またヨーロッパ長期滞在も、一生に一度のチャンスとなれば、家族の心遣いもわかります。
しかしエイミーの気は晴れませんでした。彼女はホテルの庭園で物思いに沈んでいます。
その日も、彼女は
ここに腰を下ろして、
頬杖をつき、
ホームシックに
おそわれながら、
悲しげな目をして
ベスを思い、
ローリーはどうして
来てくれないのかしら
と考えていた。
華やかな社交から一転、宗教的な想いにとらわれるエイミー。(メトロポリタン美術館蔵)
ローリーの訪れがエイミーにもたらしたもの
そんなエイミーの期待は裏切られませんでした。
ヴヴェーに着いたローリーは、彼女をホテルの庭園に探しあてます。ローリーの姿に気がついたエイミーは…
エイミーは
何もかもほうり出して
彼のそばへ駆けより、
正真正銘の
愛情とあこがれを
こめた調子で叫んだ―
まあ、ローリー!
きっと来てくださると
思ってましたわ!
ここに作者オルコットの言葉がはさまれます。
私はこれで
すべてが言いつくされ、
解決されたのだと思う。
人は将来の設計や、そのための計算や駆け引きや不確かな期待、そんな毎日に埋没しがちです。
しかしそれは「生きていることが当たり前」の幸せな前提です。
身近な人の「死」は、そんな時に「生きるとは?」という、根源的な問いを突き付けます。
無邪気な夢を追いかけていたエイミーとローリー。二人は、ベスの死によって「何がいちばん大切なことなのか」を、素直に感じ取りました。
…エイミーは
こんなにまで自分を慰め、
ささえてくれるものは、
ローリーの他には
ないことを感じたし、
生きていくために本当に必要な人、エイミーにはそれがわかりました。
ローリーのほうでもまた、
ジョーの代わりとなって
自分を幸福にしてくれる
ことのできる女性は、
世界中にただひとりだと
きめてしまったからである。
眠れる森の美女のように目ざめの時が訪れます…
こうして二人は結ばれました。
エイミーはローリーの姿を目にしたとき「何もかもほうり出して」駆け寄りました。とても意味深長な言葉だと思います。打算や私欲のない愛情には、こういう強さがあるのだと思います。
※小説の引用は『続若草物語』角川文庫 2008年 吉田勝江氏の訳からです。
「あなたはジョーか?エイミーか?」若草物語ファンの十海ひかり主宰マリッジサロンはこちら↓
もう一つのサンマリブログ『細雪』はこちらから
悲しい知らせを受け取ったエイミーは…
玉の輿であったイギリス貴族からのプロポーズを断り、今は風光明媚な、スイスのヴヴェーに滞在するエイミー。
そんな彼女にアメリカの実家から、悲しい知らせが届きます。それは三番目の姉ベスの死でした。
エイミーは
この悲しみによく耐えた。
帰国しても姉には、会えなくなったのでした。
もうベスに
さようならを言うのには
間に合わないのだから、
旅行を切り上げる必要はない、
もっと滞在して、
遠く離れていることで
悲しみを和らげるほうが
いいだろうという、
家族のすすめに
従ったのである。
今の感覚で言えば、身内が危篤なら帰国するとも思いますが、このお話は19世紀、手紙のやりとりにも移動にも、とても時間がかかる時代です。
またヨーロッパ長期滞在も、一生に一度のチャンスとなれば、家族の心遣いもわかります。
しかしエイミーの気は晴れませんでした。彼女はホテルの庭園で物思いに沈んでいます。
その日も、彼女は
ここに腰を下ろして、
頬杖をつき、
ホームシックに
おそわれながら、
悲しげな目をして
ベスを思い、
ローリーはどうして
来てくれないのかしら
と考えていた。
華やかな社交から一転、宗教的な想いにとらわれるエイミー。(メトロポリタン美術館蔵)
ローリーの訪れがエイミーにもたらしたもの
そんなエイミーの期待は裏切られませんでした。
ヴヴェーに着いたローリーは、彼女をホテルの庭園に探しあてます。ローリーの姿に気がついたエイミーは…
エイミーは
何もかもほうり出して
彼のそばへ駆けより、
正真正銘の
愛情とあこがれを
こめた調子で叫んだ―
まあ、ローリー!
きっと来てくださると
思ってましたわ!
ここに作者オルコットの言葉がはさまれます。
私はこれで
すべてが言いつくされ、
解決されたのだと思う。
人は将来の設計や、そのための計算や駆け引きや不確かな期待、そんな毎日に埋没しがちです。
しかしそれは「生きていることが当たり前」の幸せな前提です。
身近な人の「死」は、そんな時に「生きるとは?」という、根源的な問いを突き付けます。
無邪気な夢を追いかけていたエイミーとローリー。二人は、ベスの死によって「何がいちばん大切なことなのか」を、素直に感じ取りました。
…エイミーは
こんなにまで自分を慰め、
ささえてくれるものは、
ローリーの他には
ないことを感じたし、
生きていくために本当に必要な人、エイミーにはそれがわかりました。
ローリーのほうでもまた、
ジョーの代わりとなって
自分を幸福にしてくれる
ことのできる女性は、
世界中にただひとりだと
きめてしまったからである。
眠れる森の美女のように目ざめの時が訪れます…
こうして二人は結ばれました。
エイミーはローリーの姿を目にしたとき「何もかもほうり出して」駆け寄りました。とても意味深長な言葉だと思います。打算や私欲のない愛情には、こういう強さがあるのだと思います。
※小説の引用は『続若草物語』角川文庫 2008年 吉田勝江氏の訳からです。
「あなたはジョーか?エイミーか?」若草物語ファンの十海ひかり主宰マリッジサロンはこちら↓
もう一つのサンマリブログ『細雪』はこちらから