婚活するヒロインたち 結婚に役立つ名作案内 「若草物語」「細雪」

名作文学のヒロインたちから現代に役立つ結婚の知恵を学びます。―いろいろあるけれど、最後には笑おう ― 次はあなたがヒロインです。

カテゴリ: 姉妹の価値観

『続若草物語』の不器用なジョーと如才ないエイミー


初めて私が『若草物語』を読んだのは小学生のときです。そのときは正直「良い娘」になる話ばかりが書かれている感じがして、物語をあまり好きになれませんでした。
 
しかし優れた小説は、時間の経過に耐えるものです。
 
大人になると、この「良い娘になること」の背後に見え隠れする、作者オルコットの「女性として自立したい!」という叫びが、聞こえてくるのです。

続編では、お年頃になった次女ジョー(作者自身がモデル)は「自己主張」が強過ぎて、男性に敬遠されがち。損な役回りばかりで、ままならない人生に焦りを感じ始めています。

対する末っ子の四女エイミーは、女性のかわいげ全開。周囲の人々を惹きつけ、如才なく自分の夢を実現してきます。

私は、この姉妹が大人になる過程を描いた『若草物語』の続編がとりわけ好きです。今も昔も、若い女性の悩みは変わらないなあと、実感させられます。
 
いつ結婚できるのか、そこに何を望むのか、またうまくいく夫婦関係の秘訣などです。

Women In A Parlor, United States, 1842.NY
女性はお人形さんのようにかわいらしく?(ニューヨーク公共図書館蔵)

当時、女性には選挙権すらなく、仕事での自己実現が難しい時代でしたから、結婚は「人生を左右する」大きな出来事でした。

ですから続編では、結婚に関して思いのほか、高望みな野心・打算的な意見や会話も登場します。

たとえばエイミーは、母親に宛てた手紙にこう書きます。

私たちのうち、
ひとりぐらいは、
裕福な結婚をしなくては
ならないと思います。

メグはしませんでした。
ジョーにはそんな気はないし、
ベスは今のところはできないでしょう。


だから私が、とエイミーは「裕福な結婚」で、みんなが楽しく暮らせるようにしたいと宣言します。優し気な末っ子エイミーの、小気味いいほど、はっきりとした意思表示です。

この持ち前の行動力と魅力で、エイミーは自分の望む運命を切り拓いていきます。
 
一方、次女のジョーは「自立する女性」を目指して、有り余るエネルギーを持て余し、なかなか現実と折り合いがつけられません。

そうこうするうちに、娘時代はだんだんと過ぎ「オールドミスになるかも」という、寂しさと不安が忍び寄ってきます。

作者オルコットの分身、ジョーとエイミー

「女性として」賢く振るまえるエイミーと、女性である前に「人として」の権利を主張するジョー。
 
作者オルコットは、二人のキャラクターを描き分けることで、バランスをとりながら「女性とは、どう生きるべきか?」という問題に対して思考錯誤をしているように感じます。
 
オルコットの生きた時代は、アメリカで婦人参政権運動が高まった時代でした。

男女平等の思想が登場し、そうした背景の中で書かれた小説であると思うと、また姉妹それぞれの言動は、興味深く、この視点からでも魅力的な物語となっています。

オルコットポートレート
作者オルコットのポートレート写真。意志の強さを感じさせる眼差しです。(ニューヨーク公共図書館蔵)

※小説の引用は『続若草物語』角川文庫 2008年 吉田勝江氏の訳からです。



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お年頃になったエイミーの夢

若草物語の続編は、ローリーの家庭教師ジョン・ブルックと、長女メグの結婚準備の様子で始まります。エイミーは、メグの新居のカーテンを調えたり、彫刻を飾ったりと、持ち前の芸術的センスを活かしている姿で登場します。

16歳の乙女となったエイミーの日常は、二つの夢をかなえるために努力の日々。ひとつは「画家になること」、もう一つは「貴婦人となること」でした。
 
この二つの夢、かけ離れているようにも見えますが、美しいモノが大好きなエイミーにとって、画家は「美を創造する」仕事。貴婦人は「美に囲まれた暮らし」ができる存在として憧れでした。

絵を描く少女(モネ1887LACMA)
自然豊かなコンコードでエイミーはこんな風に描いていたのでしょうか?(ロサンゼルス・カウンティ美術館蔵)


芸術的才能で魅力をセルフ・プロデュース


子どもの頃から絵を描くことが大好きだった彼女は、たくさんの芸術作品を見ることで、審美眼を養い、センスを磨いています。
 
そしてその実力は「美人でない」ことの克服にも、いかんなく発揮されていました。長所をポジティヴに活かして、他の人には真似できないオリジナリティ溢れる魅力を、創り出しているのです。
 
美人というのではないが、
彼女には
あのいうにいわれぬ
しとやかな魅力があった。

エイミーは、自分に似合う着こなしをよく知っていて、全体の調和で「雰囲気美人」となっています。背が高いのでゆったりとした動作を心がけ、流行のヘアスタイルを勧められても、似合わないと思えば、とりいれません。

彼女が人に快感を与えたり
適宜に振る舞ったりするセンスは
本能的なものだった。


私は、エイミーの「本能的な」セルフ・プロデュース能力に磨きをかけたのが、彼女の好きな絵の訓練だったと思います。デッサンは、対象をよく観察することから始まります。

物事を客観的に見ることや、画面構成のバランスをとること―それがそのまま、彼女のファッションや身のこなし、そして人との距離の取り方にも、活かされたような気がします。

いつでも
どんな相手に対しても
ぴたりとその人に
かなったことを話し、
時と場合に応じたことをし、…

マーチ家の末っ子は、機応変に人との対応ができる能力の持ち主のようです。そのうえ末っ子ながら大人びてもいるようです。

しかもその落ちついた態度は、
姉妹たちがよく


エイミーは前もって
おけいこをしないで
いきなり宮廷に出ても、
間違いなく
やってのけられる人よ


と言い言いしたのを
みてもわかるのであった。

16歳にして、とても大人っぽく成長しているエイミー。彼女にはどんな人生が待ち受けているのでしょうか。
小)サロンの貴婦人
いきなり宮廷にでても間違いなくやっていける人?

※小説の引用は『続若草物語』角川文庫 2008年 吉田勝江氏の訳からです。



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ジョーの文学的才能と社交下手

絵が好きなエイミーは、描くことを通して、観察眼を養い、社交性を磨いています。一方、文学好きなジョーは、どうも自分の頭の中の世界に振り回されている感じです。
 
お年頃になったジョーは、実生活では不器用で社交下手

いったいジョーという人は、
感情よりも理性のほうが
発達している人間だった。

彼女は実在の
主人公よりは
小説の中の
主人公のほうが好きだった。

確かに自分の頭の中で作り上げたものなら、コントロールはカンタンです。

それらはあきたら
ブリキ作りの台所の中に
押し込んでおくことができるが、

実在の人物となると、
そう簡単には
片づけられないからである。

「実在の人物」と関わることには責任もリスクも生じます。現実には、また違った対処法を学ばなければなりません。

理想と現実のギャップにどう向き合うか

作家を目指すジョーにとっても(作者オルコット自身がモデルです)エイミーと同じく物事の観察は欠かせないでしょう。

しかしジョーは、頭の中に描いた「こうあるべし」というストーリーを、外界にそのまま投影してしまいがち。これでは物事がうまくすすみません。

オルコット写真
オルコットの肖像写真(ニューヨーク公共図書館蔵)
 
この理想と現実のギャップが、お年頃になったジョーの気難しさにつながっていきます。
 
他人からは「高慢ちきな、おもしろくもない人」とまで言われてしまう頑固さで、読んでいてハラハラさせられどおしです。

『若草物語』の読者は、ジョー好きが多いと思うのですが『続若草物語』になると、ジョーは子ども時代のハツラツとした魅力をいったん失っていくような感じです。

彼女はどうのような過程を経て、幸せをつかんでいくのでしょうか。

※小説の引用は『続若草物語』角川文庫 2008年 吉田勝江氏の訳からです。



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話すべき時と場合を見極めないと…
 
 子どもの頃から、ケンカしがちな姉妹でしたが、『続若草物語』で、娘盛りの二人は社交のことでよく言い合いになります。
 
当時のアメリカでは、正装して知人の家を訪問をしあうというのは、重要な社交の一つでした。エイミーはある日、気の進まない姉を連れ出し、知人や親せきの家を訪ねます。

1853年散歩用ドレス
1853年当時の散歩用のドレス。姉妹のお出かけスタイルもこんな感じ?(ニューヨーク公共図書館蔵)
 
しかしジョーはどこの家でも、ハズした態度で浮いてしまいます。さすがのエイミーもご機嫌斜め。とある訪問先からの帰り路、思わず姉に言ってしまった一言です。

[お姉さまは]
話すべき時と場合というものが
ちっともおわかりにならないのよ


なにごともタイミングが大事

  
物事の調和を重んじるエイミーにとって、相手や場にふさわしい言動をとることは、当然のマナーでまた美意識です。

確かにこの「話すべき時と場合」を見極めなければ、せっかくのメッセージも、効果的に相手に伝わりません。

たとえば、朝の出勤の慌ただしいときに、プロポーズを受けたら、どうでしょう?ただびっくりするか、あるいはあまり真剣に対応できませんよね。
 
自己アピールや、伝えたいことがあるときほど冷静に、相手の置かれている状況や立場をよく見極め、タイミングに気を配ることが大事です。それは相手に対する敬意や、思いやりでもあります。
 
エイミーはその点、本能的ともいうべきセンスの持ち主。そのために「誰にでも好かれた」と『続若草物語』では好意的に描かれています。

コンコードの橋
『続若草物語』の舞台となったコンコードの風景。(ニューヨーク公共図書館蔵)

※小説の引用は『続若草物語』角川文庫 2008年 吉田勝江氏の訳からです。



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人前での振る舞いをめぐる口論

社交先での姉の無愛想な振る舞いに、さすがのエイミーもご機嫌ななめ

ジョーも少々反省気味で、自分の性格について、妹にちょっと愚痴っています。

こんなに好ききらいが
はっきりしてるってことは
とても不幸なことね、
そう思わない?

これに対してエイミーはぴしゃり。
 
その好ききらいを
表さずにいられないって
ことのほうが
もっと不幸だと思うわ

これはエイミーの名言のひとつでしょう。
 
ジョーが好むのは、人柄そのものが尊敬できる人。
家柄や財産は意に介しません。
 
それはそれで正しいことではあるのですが、社交の場でジョーは人の「好き嫌い」をハッキリ顔に出してしまいます。

これでは浮いてしまうのも当然。エイミーをハラハラさせます。

「嫌いな人は嫌い」で済まそうとするジョーの態度は、エイミーには受け入れがたいのです。

お姉さまは
肘を張って
つんとして

世の中を押し通して
いらっしゃりたいんなら、
そうなさるといいのよ。

それが独立だと
おっしゃるんでしょう。

でも私のやり方は
ちがうんですもの
 
とおだやかなエイミーらしからぬ、キツイ発言も飛び出しています。

young girl
肘を張ってつんとして世の中を押し通していけるのでしょうか?(ニューヨーク公共図書館蔵)

本音をやたらにさらけださないこと

人間関係では、相手に本音を言っても、始まらないことが多い。事態が悪くなったり、自分の損になることも少なくありません。

エイミーはこのあたりをよく見抜いていて、無用な摩擦をスマートに避けています。

ただ、このときに大事なことは「自分の考え」は、きちんと持っていること。ただの「ことなかれ」はダメで「本音の好き嫌い」はあっていいのです。

あとは口に出すか・出さないか、顔に出すか・出さないかの違いです。
 
エイミーは「我」をはって人間関係を壊すようなことはしません。「個」がしっかりしていれば、存在感を示すことができるでしょう。

事実、三人の姉たちは彼女をこう評しています。
 
エイミーは前もって
おけいこをしないで
いきなり宮廷に出ても、

間違いなく
やってのけられる人よ
 
自分の気持ちに正直なだけのジョー。

さてしかし、大人になっていく過程では、それだけでは済まされません。

ジョーの人生は少々、波乱含みです。

※小説の引用は『続若草物語』角川文庫 2008年 吉田勝江氏の訳からです。





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かみ合わない姉妹の会話

連れだって返礼訪問をしている姉妹の口論は、まだ続いています。
 
「嫌いな人に愛想よく振舞うこともないでしょう?」という姉の正論を、もてあまし気味のエイミーはこう言います。
 
ただそれが世間一般の
やり方だと思うのよ。

それに反対するひとは
せっかく苦労しても
笑い者になるだけ
なんですもの。
 
ジョーは、妹の言うところの「世間一般のやり方」が、どうにも納得がいきません。

エイミーからはとうとう、こう言われてしまいます。

お姉さまは肘を張って
つんとして
世の中を押し通して
いらっしゃりたいんなら、
そうなさるといいのよ。

たしかに「常識」というものは、とりわけ若いときには、融通の利かないようなものの気がします。たとえば「挨拶なんて、いちいちする必要があるの?」も、反抗期の子どもの言い分ですね。
ジョー口は災いの元(パンチ)
ささいなことまで意地を張るのは、労力と時間がもったいない…
 
しかし長い時間に培われた、社会常識や礼儀作法には存在理由があるものです。それは、たくさんの人間が一緒に暮らしていくうえで、社会の潤滑油となります。

個人にとっては、無用な誤解や偏見を持たれない、というメリットがあります。


目標があるなら「常識」を味方に

だから、もし何か「とてもやりたいこと」があるなら、小さなことの是非に、いちいちエネルギーを割かないことが、大人の知恵かなと思います。

エイミーは、その点も踏まえて人づきあいが上手

彼女はだれにでも好かれた。

それは彼女が天から授かった
たくさんの美点のなかに

如才のなさというものを
もっていたからである。


「どんな相手に対しても、その場にふさわしい会話をすることができる」という社交家ぶりです。

小)どんな相手にも
その場にふさわしい会話ができる強み。


エイミーは常識的に振る舞えることで人から好かれ、夢の実現には、たくさんの手が差し伸べられます。彼女の夢は「貴婦人になること」と「画家になること、そのためにローマに行くこと」でした。
 
この夢のうちまずは、お金持ちの二人の伯母さんにかわいがられて、ローマ行きが実現します。

常識を味方につけた勝利ですね。

※小説の引用は『続若草物語』角川文庫 2008年 吉田勝江氏の訳からです。


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親切な人にはお返ししたい

社交の場から帰る道々、ジョーとエイミーの会話はあいかわらずの平行線。エイミーはこう言います。

女の人って
感じをよくしなくっちゃだめね。
ことに貧乏な者はそうなのよ。


エイミーが、社交の場で愛想よく振るまう理由です。モットーは「自分がもっているものを最大限にいかす」こと。これに対して、姉のジョーは何かと世間とぶつかりがち。
 
この妹の言葉を聞いた時も、「貧乏だからって、そういうふうにしないといけないの?」と、不満げです。たしかにちょっと間違えると、卑屈な感じになりそうです。
 
でも、エイミーは、この言葉のあとに

…そうでもしなかったら
他のかたのご親切に
お礼のしようがないんですもの。


と続けています。

自分の持っているものでギブ・アンド・テイク

ここに彼女の「ギブ・アンド・テイク」の美意識がよく表れています。
 
他人から何か受けたら、できる限りのお返しをしたい。モノがないなら、せめて「感じの良さ」で人を楽しませたいと思っているのです。

婚活もそうですが、相手に対して一方的に、条件や要望ばかりを言っていては、ご縁をつなぐことはできません。

「私の方から何かできることは?」という温かい気持ちがある人は、やはり一緒にいて安心ですし、楽しい時間を過ごすことができます。
 
そしてエイミーが、ここに加えて持っていたのが、夢をかなえるための「強い意志」でした。

四人姉妹のマーチ家は、没落した家柄です。
エイミーはそのことをよく知っていて「生まれは立派な貴婦人」と、本来自分がいるはずの上流階級に戻りたいと、野心的な強さもあわせもっています。

…いまに時がきたら、
今は貧乏ゆえに
しめ出されている地位に
いつでもつくことができるようにと、

彼女は貴族的な趣味と
感覚とを磨いていた。

野心を感じの良さでくるむ
自分の夢をかなえるまでにはたくさんの人にお世話になります。

自分の意志の強さを「感じのよさ」でくるむこと。節度と礼儀をあわせ持つ彼女の上昇志向には、多くの人が援助の手を差し伸べます。
 
日ごろから「貴族的な趣味と感覚とを磨いていた」エイミーは、それに見合ったステージを、自分のもとに引き寄せていくことになるのです。

小説の引用は『続若草物語』角川文庫 2008年 吉田勝江氏の訳からです。


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口は災いの元 チャンスを失うジョー

姉妹が連れだって出かけた社交訪問の、最後に訪ねたのがマーチ伯母さんの家でした。たまたまキャロル伯母さんも居合わせて、二人は何やら姪たちのウワサ話に興じていた様子。

AFTERNOON TEA PARTY カサットY公共図書館1891
二人の伯母さん、こんな感じで姉妹のうわさ話?(ニューヨーク公共図書館蔵)


エイミーは、社交の義務を果たしてきたことで、その時「天使のような心境」で余裕の態度。一方ジョーは苦手な社交の連続の後で、ご機嫌ナナメ。
 
しかし実はこの時、お金持ちのキャロル伯母さんは、ヨーロッパへの長期旅行を計画中。自分の娘の遊び相手として連れていくのは、ジョーかエイミーかと選んでいたのです!

独立精神旺盛なジョーは、その大事な場で「人から恩恵を受けるのは大嫌い」と、ぶしつけな発言をしてしまいます。そして、自分にチャンスのあった外国旅行をエイミーに譲ってしまうのです。

あとから届いたキャロル伯母さまの手紙には

エイミーならば素直だし、
フローにもいいお友だちに
なってもらえそうです。

あの子にならば
こんどの旅行を喜んで
役だててもらえそうに思います


と書かれていました。

感謝することが、開運のカギ

ジョーはこの後、自分の言動について、とても悔やみます。

伯母さんたちは、ジョーのふだんの生意気な態度にも関わらず、最後まで同行者として考えてくれていました。しかし気分まかせな意地をはって、次から次に「かわいげのない発言」をしたことで、最終決断が下されてしまったのです。

どうも自分は「ツイてない」と思うときは、普段の言動を見直した方がいいかもしれません。

エイミーを選ぶキャロル伯母
さまざまな人とのご縁を大切にすることで自分の夢がかないます。

自分の言うことや、やることの影響は、その場では目に見えないだけに、自己主張はほどほどに。他人をむやみに不快にさせない心づかいが、幸せになるためには必要です。

マーチ伯母さんはエイミーにこう言いました。

おまえさんの
そういうふうに
人に感謝の念を
もつところが好きですよ。


※小説の引用は『続若草物語』角川文庫 2008年 吉田勝江氏の訳からです。

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